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母が急性リンパ性白血病になって外れたお金のブロック。その1

お金のブロック
お金のブロック

今日は「お金に対するマインド」的なお話です。

スピリチュアルな空気もあるので、お嫌いな方はすみません。

そして、母が病気になったというショッキングな話からはじまります。

お金のブロックの話はこのページから深い関係があるのですが、母の病気の話が長くなり、内容が出てくるのは「その2」からになります。

 

2/28水曜日。

私の母が急性リンパ性白血病と診断されました。

 

2月に入ってインフルエンザになり、その後も体がしんどく、糖尿病のかかりつけ内科医院で血液検査をしたところ、先生が青い顔でとんできました。

血液中の白血球の数値が異常だったのです。

通常の白血球の数は 3,000~5,000 だそう。

その時の母の数値は 69,000でした。

 

内科医の先生によると

「インフルエンザ後の白血球の上昇としても多すぎる」
「何らかの血液の病気であることはまちがいない、おそらく白血病」

とのこと。

 

私のところに電話があり、28日に西宮の上ヶ原病院で詳しい検査をすることになりました。

私は27日に尼崎でセミナーがあり、一泊するのでちょうど兵庫県にいました。

母が一人で住む家(私の実家)は兵庫県高砂市にあります。

高砂市から西宮の上ヶ原病院は、高速道路を使って1時間半~2時間かかります。

どうして、そんなに遠い病院なのか…

それは母がエホバの証人だからです。

 

ご存知ない方もいるかもしれませんが、エホバの証人は「輸血してはいけない」というルールがあります。※血液の中で輸血OKの成分もあるそうです。

私はエホバの証人ではないので、詳しくはわかりません。

 

輸血拒否の患者なので、そもそも受け入れてくれる病院は少ないです。

探してみつけたのが上ヶ原病院でした。

 

28日は検査だけだから病院には来なくていいと言われましたが、朝連絡すると弟から「入院するから来て欲しい」とのこと。

必要なものを買って病院に向かいました。

 

病院につくとしんどそうな母。

15時すぎ。

私と弟と母で検査結果を聞きました。

急性リンパ性白血病 と診断されました。

血液の中にある、白血球・血小板・赤血球のうち、赤血球と血小板の数値は正常で、白血球だけが異常に多くその95%ががん細胞だったそうです。

つまり、体に悪いガン細胞を毎日大量に作り続けている状態でした。

 

紹介状で連絡されていたので、輸血しない意向は主治医になってくださる先生も知っています。

まず検査結果の説明があり、ステロイドホルモン剤と抗がん剤の治療があると説明されました。

ステロイドホルモン剤でガン細胞を完全になくすことはできません。

白血病は血液の病気なので、輸血しないのはほぼ治療できないことを意味します。

 

先生は「輸血ができたら。。。」と何度もおっしゃいました。

 

私を見る顔が「お母さんを説得できませんか?」と言っているように見えました。

私は「輸血を説得する気持ちはありません。母の意向通りを希望します。もしもの時はそれまでです。」と言いました。

 

すごく冷たいと感じる方もいるかもしれませんね…

 

母は私が生まれる前から数十年にわたって信仰を続けている信者です。

私が中学高校くらいの時までは、父と私でなんとか信仰を辞めさせようとしました。

でも無理でした。そして諦めました。

 

その後は私が家を出たこともあり「日本には信仰の自由があるから個人の自由、母だけど一人の人間としてその人の意思を尊重する。」というスタンスで接してきました。

「私はエホバの証人にはならない。私に対して信仰を薦めることは絶対しないで。その時は一切の連絡を絶ちます。」とだけハッキリ伝えていました。

 

今後についての話になりました。

白血病には型があり、

慢性より急性のほうが悪い

骨髄性よりリンパ性のほうが悪い

そうです。

 

そして、急性リンパ性白血病には「フィラデルフィア染色体」があるタイプとないタイプがある。

フィラデルフィア染色体があるタイプだと、がん細胞だけに効く薬があるそうです。

抗がん剤は血液を作る工場そのものを止めるので、輸血が絶対に必要になります。

フィラデルフィア染色体の有無はその時点ではわからず、3/6の火曜日にでます。

 

もしもフィラデルフィア染色体なしだった場合、抗がん剤しかありません。

しかし輸血が。。。

輸血の必要がない程度に抗がん剤の量を調節できるそうですが、完全にはコントロールできません。

とうぜんリスクはあります。

母の場合は、赤血球と血小板は異常ナシです。

生きるために一番大事なのは酸素を運ぶ赤血球だそうです。

抗がん剤治療はこの赤血球も一時的に作れなくなります。

だから輸血が必要になります。

先生は「輸血は説得しない」と言った私と、母と(私の)弟の様子をみて、わりとサラっと

「何もしなかったら1ヶ月~1ヶ月半。。かな」と言いました。

あまりにも唐突な余命宣告でした。

 

母は「一度は家に帰りたい。3ヶ月くらいあれば。。」と言いました。

先生は答えませんでした。

そんなに時間がないのでしょう。

母が5年前に膵臓がんの手術をしていて、経過の検査を3月末に予約していました。(神戸の別の病院です)

ですがそれも「しんどくて行けないと思うし、こっちの病気のほうが重いからキャンセルされたほうがいいと思います」と言われました。

 

母は落胆し、「ホスピスに行きます」と言いました。

ホスピスとは死期の近い患者さんに対して、苦しみなく最期の時まで過ごすことができるようにサポートしてくれる所です。

緩和ケアとも呼ばれています。苦痛を取り除くことしてくれますが、基本的に積極的治療はしません。

 

先生は「娘さんがいる岡山で病院やホスピスを探すこともできます」と教えてくれました。

この日は

・入院してステロイドホルモン剤を飲んで経過をみて、3/3土曜日に一度退院する。

・2日間自宅へ帰り、3/6火曜日に入院の用意をして検査結果を聞きに来る。(フィラデルフィア染色体なしなら、治療はできないので家にもどる)

です。

 

3/3土曜日 弟が迎えにいってくれ、退院し自宅へもどりました。

この日の白血球は55640。薬の効果か、減っていました。

 

母からメールがあり、友人に励まされたとかで「フィラデルフィア染色体の有無」がどうであっても火曜日からは入院してできるかぎりの治療をしたい!とありました。

 

 

3/6火曜日。実家に行き家を片付けて、母と一緒に病院にいきました。

検査結果は

フィラデルフィア染色体との一致99.0%

フィラデルフィア染色体のあるタイプでした。

 

検査結果をみせる先生と、私と母の間に流れる空気がかわりました。

母「え。。。では・・薬が?」

先生「はい。ガン細胞だけやっつける薬があります。」

 

母「最初は諦めたけど、結果がどうであれ治療(弱い抗がん剤も含めて)をがんばろうと思っていました」

先生「はい。輸血しないリスクは大きいですが、諦めないでと励ますつもりでした」

母は泣いていました。

先生も顔が真っ赤になっていました。

私は不思議と涙がでませんでした。

こうなるの、知っていたな。。。という感じだったのです。

一度見た映画の感動のシーンをもう一度みているかのようでした。

最初の診断結果を聞いた28日 岡山へ帰る新幹線の中で、涙が止まらなかったのが嘘みたいです。(岡山止まりの新幹線で車内に私しかいなかった^^;)

 

しかし、薬だけで綺麗サッパリ白血病を治すことはできません。

薬で状態を良くして、抗がん剤を考えていくということになりました。

今回の入院期間は1ヶ月です。

 

母は糖尿病があるのですが、薬で血糖値がめちゃくちゃになる可能性があります。

血糖値の管理も行いながらの治療です。

 

その2」から私の現実が変わったことについてお話します。